合格体験記

ししま
阪大・人間科学 田中和輝(清風南海)

 「僕は数学が出来ない」
 小学生のころから、そんなレッテルを自分の至る所にぺたぺた貼り付けて僕は生きてきた。定期テストを赤点ぎりぎりで切り抜けることは日常と化していた。模試で偏差値50を超えることは滅多に無かった。頑張ってはみたが、一向に点数は伸びない。本当に向いていないんだと思った。そして、何時の間にか僕は「仕方がない」と一言で済ますようになった。
 「だって苦手なんだから」、と。出来ないことを正当化した。その結果、やはり成績は上がらない。「数学なんて大嫌いだ、達成感も何もないんだよ、このやろう」「数字の無い世界に行きたい」とかなんとか、ぐちぐち言いながら高校生活を過ごしていた。正直、高3の夏までは漠然と数学の要らない学部に行くんだろうなとすら思っていた。
   しかし、何の因果か、いざ自分の行きたい学部を決め、調べた結果、数学が高配点であり、挙げ句、文理共通の学部であることが判明した。つまり数学が大好きで堪らないような理系の人間も受験してくるということである。
 ――これは不味い。
 非常に狼狽したのを記憶している。完全に愚か者の所業であった。
 葦牙予備校に通っていた僕はその焦りと困惑のあまり、塾長である新家先生のもとに駆け寄り、判断を仰いだ。今更ろくに公式も覚えていない僕が一体どんな奇策を弄すれば、数学が得意になるというのか。あからさまに不安を浮かべる僕に「とりあえずチャートをやれ。以上だ」
 どどーん。僕の頭上で雷鳴が轟いた。いや、それはむしろ天啓であった。あまりにシンプル、かつ圧倒的説得力あるアドバイスに衝撃を受け、そして覚悟を決めた。
 それから僕はひいひい言いながらも黄色チャートをこなし、青チャートをこなした。残りの時間は数学で潰してやろうと決意していた。最初のうちは基本問題すら理解出来ず戸惑っていた。が、何度も繰り返し解いた。そして何度も悔し涙を飲んだ。ツイッターのタイムラインが愚痴で埋まった。しかし周りとの差は埋まらないまま。再び新家先生に助言を請う。
 「諦めるな、必ず出来るようになる。チャートをやれ。」
 そうだ、ここで止めては今までと同じだ。僕は再び解き始めた。
 使い潰したノートは20冊を超えた。使い続けたチャートの表紙は破け、びりびりになった。プラチカや、入試問題集、メジアンにも手を出し2周はした。先生に愚痴をこぼしながらも、それでも解いた。
 そんな中で、葦牙は最高の環境であったように思う。僕は集中力があまり持続しない方なので、何度も談話室で息抜きができたのは大きい。友達と互いに問題を出し、切磋琢磨し合うこともできた。アットホームで自由な雰囲気が好きで、自習自体は苦痛では無かった。
 そうして時間は流れた。
 そしてある時、あれ?、とふと感じた。
 ――数学って楽しいんじゃないか?解けるんじゃないか?
 これまでなら到底方針すら立たないであろう問題に食らいついている自分がいた。そして阪大オープン、結果、数学偏差値73。  いつのまにか音もなく「僕は勉強は出来ない」なんてレッテルは消え去っていた。自信と余裕が生まれ、得意科目になっていた。あとはそのまま勢いで、受験結果は第一志望合格、である。結局、僕が気づいたことは「出来ない」じゃなくて「やってない」だけということだ。
 もしもこんな長い文を読んだ人がいて、不得意な科目で悩んでいるというなら、苦手意識だけで、自分の選択肢を狭めないでほしいということを声を大にして言いたい。どんなにダメでも当たり前のことを繰り返してやるだけなんだ。英語にしたって、僕は速単と塾のテキストしかやっていない。繰り返しやれば何でも出来るんだ。うん。
 最後になるが、二年間葦牙予備校で勉強してこられたのも自分の努力というのも勿論あるが、それ以上に、先生であったり、葦牙で出来た友達、後輩達の支えがあったからだと確信している。
 そんな人たちに感謝の念を表して、合格体験記を締めくくりたいと思う。

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