1. 宿題が出されないと不安

ノート書き込み作業から覚えることへ!
 学校や塾から出されるたくさんの宿題を子供がちゃんと提出しているだけで安心していませんか。
逆に宿題などいい加減にしているとこんな状態でいいのだろうか、学校の面談でも何か言われるし平常点も悪くなるし、と不安がつのりませんか。
 しかし、ちょっと考えてみて下さい。目に見える宿題とはなんでしょうか。それは、問題集をとにかくノートにやってそれを提出して認めの印を貰っておしまいです。こ れで本当に勉強したことになるのでしょうか。大学受験までに子供が覚えなければいけない単語や文法的知識は大学のレベルによって異なりますが、3000~7000 くらいはあります。問題集を解いているだけでは決してこの膨大な知識を脳にインプットすることはできません。
ノートに書き込むということと覚えるということは違います。
極端なことを言えば、ノートに書き込むというのは理解していようがいまいが、正しかろうと間違っていよ うが、とにかく埋めて提出するという作業です。作業はいくらやっても作業に過ぎません。頭の中にインプットするという点では無駄骨以外の何物でもありません。
 学校によっては、強制的にテストのやり直しを行わせているところもあります。要領の良い子は適当に処理するのですが、要領の悪い子は、相当な時間をかけてなんと か正解らしきものをどこかから探してきて解答を埋め、学校へ提出ということになると思います。また、テストができないと懲罰的にノートに同じ単語を何回も書かせて 提出させる学校もあります。
 受験勉強という視点から、このことを見てみれば、多くの学校で生徒たちに行わせているテスト直しという宿題は、一見勉強をさせているようで、実は作業を行わせて いるに過ぎない場合が多いのです。
人間の脳は覚える気のないものは覚えないのです。ただ、単語をノートに10回ずつ書いても、覚える気がなければ、それはただの作業です。
 英語の勉強の9割以上は、覚えるための意識的努力です。それは先生の板書をきれいにノートに写し取ったり、問題の解答をノートにきれいに書くという作業ではあり ません。電車の中でもトイレの中でも風呂の中でも食事中でもかまいません。とにかく声を出せるときは声を出し、手を動かせるときには手を動かし、歩けるときには歩 きながら、とにかく毎日覚え続けるということが大切なのです。
このような勉強は、ノートという人目に触れる物理的証拠は残りません。しかし、意識的に覚える努力こそが勉強なのです。ノートをきれいに作って先生に提出して認 め印を貰うことは、作業とは言えても受験勉強とは決して言えません。
 学校の宿題で子供の力がつかないとしたら、ではどうすればいいのかと不安になられる方もいるでしょう。しかし、その不安の解決策は、実はとてもシンプルなのです。
英語の勉強は単純なのです。
大学入試に必要なことは次のことです。まずは文法知識を身につけ、英文を読めるようにすることです。これで日本の大学はリスニングを課すごく一部の大学を除き、 私立大学はほとんど大丈夫です。したがって、葦牙予備校では、私立大学を志望校にしている生徒には、<文法+読解>の組み合わせの授業をしつこくやっているのです。
国立大学では、英文和訳と英作文の訓練がこれに加わります。英文が読めるだけでは、なかなか記述問題に対応できません。したがって、読む訓練に記述訓練を加えて いきます。これで神戸大学レベルまでは十分対応できます。
阪大、京大となるとかなり難度の高い英文和訳と英作文の訓練が要求されます。したがって、葦牙予備校では生徒たちにとってかなり難解に感じられる抽象度の高い英文読解訓練と、和文和訳をしないとどうしても書けないような英作文問題に対して、その和文和訳のテクニックを指導しながら生徒の添削にも力を入れた指導を行っているのです。
東大は京大・阪大と異なり、速読速解、要約能力の訓練とリスニングの訓練が要ります。したがって、高2までに阪大レベルくらいの二次力をつけた上で、3年では実 践的な訓練を継続して行っていく必要があります。
そして、どのレベルの勉強においても、未知の語句を「覚える」努力は最後まで継続する必要があります。
もしこのような勉強をしていない場合、それは勉強をしたことにはならないのです。受験勉強は作業ではないということを意識して欲しいと思います。

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